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3/29/2014

シャトー・レグリーズ・クリネ (Chateau Eglise Clinet)

格付け:ポムロール(ポムロールには公式の格付けは無い)
所有者:ファミーユ・デュラントゥ/シャトー・レグリーズ・クリネ
栽培面積:4.5ha
平均樹齢:40年
植樹密度:6.500~7.000本/ha
平均収量:35~38hl/ha




醸造及び育成
発酵とマセレーションは、容量30~50hlの温度調節機能付きのステンレス製タンクで、15~21日間にわたって行う。新樽の比率が40~70%のオーク樽で、15~18カ月間熟成する。清澄、濾過は行わない。
年間生産量:シャトー・レグリーズ・クリネ12.000~15.000、ラ・プティット・レグリーズ15.000~20.000本
近年のグレートヴィンテージ:2001,2000,1998,1995,1990,1989,1988,1986,1985

レグリーズ・クリネは、1956年の殺人的な厳寒の後も植え替えをしなかった数少ないポムロール畑のひとつである。(1985年と1987年の霜の際も被害を受けなかった)。従って、ここには非常に古い樹があり、なかには樹齢100年を超えるものもある。

1983年までは、ここより大きく、名前も知られたポムロールのシャトー、クロ・レネの所有者であるピエール・ラセールが、ここの畑を「メテイヤージュシステム(ブドウ畑の賃貸契約タイプ)」で運営していた。彼はリッチで、バランスの良い、しなやかで硬い、そして常に巧みに醸造されたワインを造っていた。その後、経営は若くて非常に献身的なドゥニ・デュラントゥの手に渡った。彼はこの小さな畑をポムロールの非公式格付けの最高位に押し上げようと努力している。成功への秘訣は、品質に対する特筆すべき関与、ブドウの樹齢(平均樹齢が40~45年である)、さらに豊作の時でも難しいヴィンテージでも収穫量の4分の1をセカンドワイン、ラ・プティット・レグリーズにまわすことである。ドゥニ・デュラントゥの努力はいくら賞賛しても足りないぐらいである。

レグリーズ・クリネの値段は高い。それはワイン通たちがこのワインをアペラシオンの上位12位のひとつと認めているからである。 - ロバート・M・パーカーjr著 「ロバート・パーカーが選ぶ 最新版 世界の極上ワイン」119Pより抜粋








シャトー・レヴァンジル(Chateau l'Evangile)



格付け:ポムロール(ポムロールにはワインの公式の格付けは無い)
所有者:ドメーヌ・バロン・ド・ロートシルト(ラフィット)
栽培面積:14ha
ブドウ品種:メルロ78%、カベルネ・フラン22%
平均樹齢:35年
植樹密度:6.000~7.500本/ha
醸造及び育成
レヴァンジルは伝統的な栽培手法をとっており、収穫を手摘みで行い、厳格な選果をしている。小さめかもしくは控えめなサイズの、セメント及びステンレス製の発酵槽で醸造を行う。ほとんどのヴィンテージでは18~20カ月間熟成する。樽は新樽が主体のオーク樽であるが、これはデュカス家が所有者だった頃はあまり見られなかったことで、現在のロートシルト家の所有になってから変わったことである。
年間生産量:シャトー・レヴァンジル2.000~3.000ケース、ブラゾン・ド・レヴァンジル2.000~3.000ケース
近年のグレートヴィンテージ:2001,2000,1998,1995,1990,1985,1982,1975

レヴァンジルは1741年、ファジローの名前で土地が登録されていた頃に登場している。19世紀への変わり目には、このシャトーは既に現在と似たような構成にあり、13ヘクタールの畑が広がっていた。その頃、ここはイザンベールという法律家に売却され、「レヴァンジル」と名前を変えた。

レヴァンジルの2001年、2000年、1998年、1995年、1990年、1989年、1985年、1982年、1975年、1961年、1950年、1947年を味わった人ならだれでも、このシャトーが荘厳な豊かさと人を動かさずにはおかない個性を持ったワインを生み出せることを十分にわかっているはずだ。ブドウ畑の紳士録とも言えるような、ラ・コンセンヤント、ヴィユー・シャトー・ゼルダン、そしてペトリュスと北の境界線を接し、偉大なサン=テミリオンのシュヴァル・ブランと南の境界線を接するこのシャトーの14ヘクタールの畑は、深い、砂利質の土壌が粘土と砂の混じりあった、輝かしい場所に位置している。これらの利点があるからこそ、レヴァンジルは(決して一貫性のあるワインの見本とは言えないものの)現在のようにペトリュス、ラフルール、そしてシュヴァル・ブランと肩を並べるワインを生み出すことができるのだ。
  - ロバート・M・パーカーjr著「ロバート・パーカーが選ぶ 最新版 世界の極上ワイン」122Pより抜粋






3/28/2014

シャトー・ド・ヴァランドロー(Chateau Valandraud)


格付け:グラン・クリュ サン=テミリオン
所有者:ジャン=リュック・デュヌヴァン、ミュリエール・アンドロー
栽培面積:8ha
ブドウ品種:メルロ70%、カベルネフラン25%、マルベック2.5%、カベルネ・ソーヴィニョン2.5%
平均樹齢:30年
植樹密度:6.500本
平均収量:30~40hl/ha
醸造及び育成
すべてのブドウは有機農法による畑から手摘みで収穫する。低温マセレーションのあとの醸造は、非常にブルゴーニュ風である(樽内での低温マセレーションまたは浸浸、マクロラクティック発酵、澱と接触させたままの熟成)、ポんピング・オーバーだけでなくピジャージュも行う。マクロラクティック発酵は、樽の中で行い、最初の澱引きの時まで、ワインは澱と接触している。18カ月オークの新樽100%で熟成したあとで、ワインは清澄も濾過もせずに瓶詰される。
年間生産量:シャトー・ド・ヴァランドロー11.000本、ヴィルジニ・ド・ヴァランドロー10.000本
近年の偉大なヴィンテージ:2003,2002,2001,1998,1995,1994,1993

執念深く生真面目、非常に才能ある所有者のジャン=リュック・テュヌヴァンは、彼の清澄・濾過処理をしない、際立ってリッチなヴァランドローが獲得している評判と価格に、今ではチェシャー猫のようなにやにや笑いを浮かべている。テュヌヴァンは夫人のミュリエルと共に、サン=テミリオンの厳選した区画に、ちっぽけなシャトーを設立した。サン=ミリオンでワイン・ショップとレストラン経営の経験を持ち、ワインの取引に関わってきたことは、テュヌヴァンの偉大なワインづくりのための哲学をいささかも損なうことはなかった。

ヴァランドローがどのくらいよく熟成するか、一般の評価はもちろんまだだが、ワインの途方もなくリッチで、凝縮感があり、すばらしくくっきりした輪郭がある。1994年、1993年、1992年といったコレクターが、サン=テミリオンのどのシャトーのワインよりも探し回る小さな宝物となった。テュヌヴァンをを批判する声は耐えないが(多くはボルドーの貴族的なシャトーの嫉妬である)、彼の影響力は広大し続けている。彼は最も引っ張りだこのコンサルタントの1人であり、秀逸さへの執心とこだわりは、彼の途方もない味覚(同じぐらい才能のある彼の妻の助けが大きい)と共に、サン=テミリオンとその衛星地区の多くの凡庸なワインをよみがえらせていた。品質にこだわる消費者の意識に、これらのワインを最も人気のあるものとして植えつけたのである。

テュヌヴァンは、ミシェル・ロランと並んで、新しい世代のヴィニュロンたちに対し、もっともっと高い品質のワインをつくるよう刺激を与えてきた人物である。そのおかげで、ボルドー全体が多大な恩恵にあずかっている。
  - ロバート・M・パーカーjr著「ロバート・パーカーが選ぶ 最新版 世界の極上ワイン」203Pより抜粋



シャトー・ド・ヴァランドロー

シャトー・ラモンドット( Château La Mondotte)


格付け:ACサン=テミリオン
所有者:ネッペール伯爵
栽培面積:4.5ha
平均樹齢:45年
植樹密度:5.500本/ha
平均収量:25hl/ha
醸造及び育成:この小さな宝物のようなブドウ畑はサン=テミリオンの石灰岩の台地に位置している。粘土質の土壌と秀逸な完熟感、そして低収量が、豪華で非常に色が深く、極めて良好な構造を持つワインをつくるのに貢献している。想像を絶するほど熟した果実味とフィネスが口の中を通り抜けていく。
収穫の際は、ブドウは手摘みであり、除梗の前後に2回の選別を経る。発酵は温度制御装置のついたオークの発酵槽で25日間行う。果帽をパンチング・ダウンすることで抽出が達成される。ワインは樽(例年90~100%が新樽)の中で澱と接触したまま約18カ月間かけて熟成して、清澄も濾過もしない。
年間生産量:ラ・モンドット9.500本
近年のグレートヴィンテージ:2003,2001,2000,1998,1996

カノン=ラ=ガフリエールやクロ・ド・ロラトワールを所有する
ステファン・フォン・ネッペールと、有能なコンサルタントの
ステファン・ドゥルノンクール氏がタッグを組むラ・ラモンドット。

メルロ100%で造った1996年が初ヴィンテージ。
初ヴィンテージより2年も経たない内に、無名だったシャトーは
サン・テミリオンの最上級シャトーになり、その価格は急騰!
ついに、1998年のプリムール価格は、サン・テミリオンで
最高値を付けたという伝説的なエピソードを持ちます。

ステファン・フォン・ネッペール氏は、最良のワインを造るために出費を惜しまず、
伝統的醸造法と最新の醸造法の賢明な融合を通して、
常に傑出した成果を達成してきています。
醸造においては長期間のマセラシオンと、澱と接触させたままでの
ミクロ・ビュラージュ、新樽でのマロラクティック発酵、
高品質の樽の使用など、最先端の技術がぎっしり詰め込まれています。

芳醇さがあり、力強く、濃厚で十二分の果実味がありながら、
ラ・モンドットには非の打ちどころのないバランスと調和を感じることが出来ます。
若い時点でも近づきやすさはありますが、
30年ほどセラーで寝かせられる熟成能力もあります。



シャトー・ラフィット・ロートシルト(Château Lafite-Rothschild)



格付け:メドック1級(1855年) ポイヤック
所有者:ドメーヌ・バロン・ド・ロートシルト(ラフィット)
栽培面積:100ha
ブドウ品種:カベルネ・ソーヴィニョン70%、メルロ25%、カベルネ・フラン3%、プティ・ヴェルド2%
平均樹齢:30年
植樹密度:8.500本/ha
平均収量:50hl/ha
醸造及び熟成
手摘みで収穫の後、ブドウは畑で選別される。ブドウ品種、熟成の程度、タンニンの抽出度に応じて、3週間マセレーションを行い、オーク及びステンレス製の発酵槽で伝統的に醸造する。(ラフィットお抱えの樽職人がつくった)オークの新樽に18~20カ月寝かせることによって、若いワインの熟成が完結する。ラフィットでは軽い清澄を行い、瓶詰めの前に濾過を行っている。
年間生産量:シャトー・ラフィット・ロートシルト18.000~25.000ケース、カリュアード・ド・ラフィット20.000~25.000ケース
近年のグレートヴィンテージ:2003,2002,2001,2000,1999,1998,1996,1995,1990,1988,1986,1983,1982

ラフィットの名前は、ガスコーニュ語の「ラ・ヒート」、すなわち「小さい丘」からきている。ラフィットについての最初の記述は13世紀にまでさかのぼるが、ワインづくりのシャトーとしての評判を得るようになったのは、17世紀になってからだった。1670年代から1680年代初めにかけてラフィットのブドウ畑を植えたのは、ジャック・ド・セギュールの功績である。

18世紀の初め頃には、ラフィットはロンドンに販路を見出していた。1732年から1733年にかけては、英国首相であったロバート・ウォルポールが3カ月毎にラフィットを樽で購入した。

ニコラ・アレクキサンドル・ド・セギュール侯爵はワインの醸造技術を向上させ、とりわけ外国の市場やヴェルサイユ宮殿でのラフィットの名声を高めた。才能ある大使マレシャル・ド・リシュリューの支援を得て、彼は「ワイン・プリンス」として知られるようになり、ラフィットのワインは「王のワイン」と呼ばれた。

1780年代の終わり頃までには、ラフィットは未来の米国大統領トーマス・ジェファーソンのような重要人物を始めとする、外国の信奉者を持つようになった。大使としてヴェルサイユ宮殿に仕えながら、ジェファーソンはワインづくりの情熱に目覚め、自分の国でもそれを発展させようと決心した。1787年5月にボルドーに滞在した際、彼はシャトーを詳細に格付けし、シャトー・ラフィットを上位4つのシャトーのひとつに指名した。

セギュール家によるラフィットの運営は、ニコラス・ピエール・ド・ピシャールがフランス革命の最中に処刑されたことによって、無残にも終わりを告げた。今もシャトー・ラフィットのロビーには、1797年9月12日にここを競売にかけると書かれた当時のポスターが飾ってある。当時のこのシャトーは「メドックを代表するワインで、ボルドー全体でも最上のワインを生産している」と表現されている。

1868年8月、再び競売にかけられたシャトー・ラフィットは、ジェームス・ド・ロートシルト男爵に買い取られた。
偶然にも、1868年ヴィンテージのラフィットはその年の最高価格のワインとなり、その記録は20世紀になるまで破られることはなかった。

19世紀の終わりから20世紀の前半にかけては、壊滅的な出来事が続いた。フィロキセラの被害、続いて第一次世界大戦と大恐慌によって、ワインの価格は暴落した。こうした試練にかかわらず、いくつかの偉大なヴィンテージが生み出されている。1899年、1900年、1906年、1926年、そして1929年だ。

第二次世界大戦によって事態はますます悪くなり、1940年6月にフランスが降伏すると、ドイツ軍がメドックを占領した。
ロートシルト家所有の土地は接収され、農業の職業訓練校として利用するために軍の管理下に置かれた。占領期間中ずっと、シャトー・ラフィット・ロートシルトとシャトー・ムートン・ロートシルトにはドイツ軍の駐屯が定着しており、シャトーは古いヴィンテージものを接収されたりあさりまわられたりして苦しんだ。ロートシルト兄弟がシャトー・ラフィットを取り戻したのは、1945年の終わりのことだった。

1973年から1976年に国際的な石油危機がボルドーを襲ったが、その後ラフィットはエリック・ド・ロートシルト男爵の管理のもと1975年と1976年のヴィンテージで再びよみがえった。ブドウ畑では植え替えと修復作業が続けられ、肥料は再び見直され、除草剤は制限された。セラーでは、オークの槽と並んでスチール製のタンク一式が導入され、新しい熟成方法をもたらすワイン蔵(シェ)も取り入れられた。

ラフィットは、ボルドーで最も有名なシャトーであり続けている。そして、エレガントで小さめの、控えめなラベルとともに、富、名声、歴史、尊敬、そして驚くほど長命なワインの代名詞となっている。
  -ロバート・M・パーカーjr著 「ロバート・パーカーが選ぶ 最新版 世界の極上ワイン」132P、133Pより抜粋



シャトー・ラフィット・ロートシルト

シャトー・オー・ブリオン( Chateau Haut Brion)


格付け:第一級 グラーヴ
所有者:ドメーヌ・クラランス・ディロンSA
栽培面積:43.2ha
ブドウ品種:カベルネ・ソーヴィニョン45%、メルロ37%、カベルネ・フラン18%
平均樹齢:36年
植樹密度:8.000本/ha
平均収量:35~45hl/ha
醸造及び育成
若いワインは、温度調節機能付きのステンレスタンクで(オー・ブリオンは1961年にこれを導入した最初の主要なシャトーである)15~20日間、発酵とマセレーションを行う。その後オークの新樽100%(18世紀以来のオー・ブリオンの伝統である)に静かに移され、ヴィンテージの持久力と力強さに応じて22~26カ月間寝かせる。卵白で清澄を行い、濾過は必要な場合のみ行う。
年間生産量:(赤ワイン)シャトー・オー・ブリオン132.000本、シャトー・バアン・オー・ブリオン88.000本
(白ワイン)シャトー・オー・ブリオン7.800本、レ・プランティエール・デュ・オー・ブリオン5.000本
近年のグレートヴィンテージ:2003,2000,1998,1995,1990,1989,1985,1982,1975

ボルドーのグラン・クリュ・クラッセとして代表的な、1855年のメドック格付け時、メドック地区でないにも関わらず(グラーヴ地区)、余りにも偉大な名声から唯一例外として組み入れられたグラーヴ地区の超一流シャトー、「シャトー・オー・ブリオン」。シャトー・オー・ブリオンは、地区違いというのに、メドック1級の栄光を獲得した。

オー・ブリオンの歴史は500年にも及び、あらゆるブドウ畑の中で最も古く、輝かしいもののひとつである。
日記作家サミュエル・ピープスが、1663年4月10日にロンドンのロイヤル・オーク・タヴァーンでオー・ブリオンを飲み、後にこう指摘したことはとても有名な話である。
「私はそこで、”ホー・ブライアン”という名のフランスワインのようなものを飲んだ。それは私が今までお目にかかったことのない、素晴らしく、特別な味がした。」

1787年5月25日、当時パリ在住の米国特命全権公使であったトーマス・ジェファーソンがオー・ブリオンを訪れ、翌日ヴァージニアの友人フランシス・エップに宛ててこう書いてる。
「このワインを味わってみて欲しいという気持ちを打ち消すことができない。”オブリオン”という名前のブドウ畑で、最上といわれている4つの内の一つだ。ヴィンテージは1784年。6ダースの瓶を箱詰めにして、分けて君の送る。」
ジェファーソンは、ボルドーの名誉米国領事に宛ててもこう書いてもいる。
「シャトー・オー・ブリオンは1級クラスのワインで、私がフランスで味わったどのワインよりも米国人好みのようだ。」

1950年代から1960年代初めにかけては素晴らしくリッチで、土っぽく、殆ど甘口ですらあったワインは、1966年から1974年の間にはより軽く、やせた、おおらかな、いくぶん単純なスタイルの赤ワインに変わり、1級シャトーに期待されるような豊かさや深みに欠けていた。これが意図的なものなのか、あるいは単に低迷していただけなのかはわからない。

1975年のヴィンテージからは再び、1966~1974年の時期以前に備わっていた、本来の土っぽい豊かさと凝縮感を取り戻した。現在のシャトー・オー・ブリオンは、紛れもなく1級シャトーの地位に相応しいワインを造っており、事実、1979年以降のオー・ブリオンは一貫して、ボルドーで生産される最高のワインの一つとして認められている。
  -ロバート・M・パーカーjr著「ロバート・パーカーが選ぶ 最新版 世界の極上ワイン」126P、127Pより抜粋