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2/07/2015

シャトー・コス・デストゥルネル CHATEAU COS D`ESTOURNEL




格付け:二級(1855年)
所有者:ミシェル・レビエ
住所:Cos d"Estournel,33180 St-Estephe,France
電話:33 05 56 73 15 50
FAX:33 05 56 59 72 59
Web:www.estournel.com
窓口:Jean-Guillaume Prats
見学:プライベートなツアーとテイスティング、予約のみ、月曜~金曜。ツアーはフランス語または英語。



面積:64.8ha
ブドウ品種:カベルネ・ソーヴィニョン(60%)、メルロ(30%)、カベルネ・フラン(2%)
平均樹齢:35年
植樹面積:8.000~10.000本/ha

醸造及び育成

収量をルテ・レゾネ(適度に低く)保つために畑では厳しい剪定が行われている。コス・デストゥルネルはコンクリート製の、レ・パゴテ・ド・コスはスチール製の発酵槽で醸造される。
事前に10~15日間の低温浸浸をし、ヴィンテージとフェノール類の完成度に応じて色や風味を引き出す。ワインはオーク樽で18~22カ月熟成させる。

コスは伝統への健全な敬意を保ちつつも、革新的な手法を嫌悪することもなく、毎年新しい試みを採用している。

年間生産量

コス・デストゥルネル:200.000本
レ・パゴデ・ド・コス:130.000本

近年の偉大なヴィンテージ
2010年、2009年、2007年、2003年、2002年、2001年、2000年、1996年、1995年、1989年、1986年、1985年、1982年


ルイ・カスパール・デストゥルネルは、ルイ15世の時代である1762年に生まれ、1853年のナポレオン3世の時代に、驚くべき91歳という年齢で亡くなった。彼の人生におけるただひとつの情熱は、コスであった。19世紀の初めから半ばにかけて、コス・デストゥルネルのワインはボルドーの誉れ高いシャトーのほとんどのワインよりも高い値がつき、遠くインドにまで輸出された。実際、ルイ・ガスパール・デストゥルネルは「サン=テステフのマハラジャ」として知られていたのである。

1852年、シャトーを拡張し整備するための借金がかさんだため、ルイ・ガスパール・デストゥルネルはシャトーをロンドンの銀行家、マーティンズに売却した。彼はマーティンズによって引き続きそこに住むことを許され、1853年に亡くなった。1855年の格付けによってコス・デストゥルネルがサン=テステフ最高のシャトーとなり、彼の努力が報われる2年前のことであった。

1869年、マーティンズはコス・デストゥルネルをバスク地方の貴族、エラズ家に売却した。エラズ家は1889年にホスタイン兄弟にここを売った。1917年、ボルドーを代表するワイン商人であったフェルナンド・ジネステがコス・デストゥルネルを買い取った。そして彼の孫たち、ジャン=マリー、イヴ、ブリュノ・ブラッツがこのシャトーを継いでいる。

1998年、ブラッツ兄弟はコス・デストゥルネルをメルロー家、タイヤン・グループのオーナー、そしてモヤノ氏を代表とするアルゼンチンの投資家たちに売却した。

コス・デストゥルネルは2000年に再び売却され、今ではソシエテ・デ・ドメーヌ・レビエの所有である。醸造の指揮をとっているのは、フェルナンド・ジネステの偉大な曾孫であり、1970年から1998年までコス・デストゥルネルの経営者でもあったブリュノ・ブラッツの息子のジャン=ギヨーム・ブラッツである。

シャトーはアジアのパゴダのような外観で、ポイヤックとの村境のすぐ北の、著名な隣人ラフィット・ロートシルトを見下ろす丘の背にある。1982年から1996年までのワインは急速に力をつけ、ほとんどのヴィンテージでメドック最上のワインを生産するだろうと期待されてきたのである。ぱっとしない短い期間(1997~1999年)えお経て、シャトーはすぐによみがえった。メドックにしては珍しく、コスはメルロのブレンド比率が高いこと(40%)、新樽の比率が平均よりも高いこと(60~100%)で他と一線を画している。オー=メドックでは最も高い部類に入るメルロのブレンド比率が、コスの最近のヴィンテージに目立つ肉づきの良い、リッチな舌触りの特徴をワインにもたらしている。

-ロバート・M・パーカーjr著 「ロバート・パーカーが選ぶ 最新版 世界の極上ワイン」115P、116Pより抜粋





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1/27/2015

シャトー・ムートン・ロートシルト(シャトー・ムートン・ロスチャイルド)CHATEAU MOUTON ROTHSCHILD



格付け:一級(1973年)

所有者:GFA バロネス・フィリピーヌ・ド・ロートシルト
住所:Chateau Mouton Rothschild,33250 Pauillac France
TEL:33 05 56 59 22 22
FAX:33 05 56 73 20 44
窓口:技術監督 Patrick Leon. 営業統括 Herve Berland
見学:予約者のみ(TEL 33 05 56 73 21 29またはFAX 33 05 56 73 21 28)

畑 面積:83ha
ブドウ品種:カベルネ・ソーヴィニョン(77%)、メルロ(12%)、カベルネ・フラン(9%)、プティ・ヴェルド(2%)
平均樹齢:46年
植樹密度:3.420本/ha
平均収量:40~50hl/ha

醸造及び育成
収穫は、手摘みで行い、小さなバスケットに入れる。醸造室に届くと、収穫したブドウはすべて選別台上に載せられて、除梗の前に蔓や葉などを取り除いて、完全な実だけが選ばれる。その後、ブドウの実は重力を利用して発酵槽に移される。

シャトー・ムートン・ロートシルトの発酵槽はすべて木製であり、このシャトーのそれぞれの区画のブドウが、正当なワイン醸造の技術に基づいて醸造される。アルコール醸造は約1週間行う。

4~5週間の発酵/マセレーションの後で、ワインはオークの新樽に直接移される。マロラクティック発酵の後で、ワインのロットはブレンドされる。その後、ワインは樽で18~22カ月熟成する。ワインは4カ月毎に1回、定期的に伝統的な方法で澱引きを行う。このシャトーの目標は、良好な熟成能力を持つ力強いワインをつくることにある。

年間生産量
シャトー・ムートン・ロートシルト:300.000本
ル・プティ・ムートン・ド・ムートン・ロートシルト:43.000本
エール・ダルジャン(ボルドーの白):13.000本

近年の偉大なヴィンテージ
2010年、2009年、2005年、2003年、2000年、1998年、1996年、1995年、1989年、1986年、1982年


英国のロスチャイルド家の一員であったナサニエル・ド・ロートシルト男爵は1855年にシャトー・ブラーヌ=ムートンを購入して、シャトーの名前をシャトー・ムートン・ロートシルトに変えた。1922年にはナサニエルの曾孫にあたるフィリップ・ド・ロートシルト男爵(1902~1988)がこのシャトーを購入した。

1924年にフィリップ・ド・ロートシルト男爵は、初めてシャトーでの瓶詰め(シャトー元詰め)を導入した。1926年には、名高いグラン。シェ(奥行き100メートルの熟成用セラー)を建設した。このセラーはムートンを訪れる人の主なアトラクションとなっている。1933年彼は、隣接する1855年の格付けシャトーであるシャトー・ムートン・ダルマイヤックを購入して、シャトー・ダルマイヤックと名前を変え、所有地を拡大した。

ムートン・ロートシルトの地位とワインは、故フィリップ・ド・ロートシルト男爵が独自につくりあげたものである。21歳でこのシャトーを受け継いだ時に、彼がムートンに対し並々ならぬ野心を抱いていたことは疑う余地はない。とはいえ、彼は誰も想像ができなかったほどこのシャトーの評判を高めたのだ。彼はメドックのワインの1855年の格付けの変更を成し遂げることができた唯一の人物である。

何年間もロビー活動を続けた後に、1973年にムートン・ロートシルトは公式に一級に格付けされた。その際に派手好きな男爵は挑戦的なラベルの言葉を、「一級にはなれないが、二級の名に甘んじられぬ、余はムートンなり」から「余は一級であり、かつて二級であった、ムートンは不変なり」と変えている。

男爵は1998年1月に他界した。今はその娘で、男爵同様カリスマ性のあるフィリピーヌがこのワイン醸造帝国の精神的頂点にいる。彼女は、エルヴェ・ベルローが率いるムートンの有能なチームから並々ならぬ協力を引き続き得ている。

疑問の余地なく、私が飲んだボルドーの最も偉大なワインのいくつくがムートンだ。2003年、2000年、1996年、1995年、1986年、1982年、1959年、1955年、1953年、1947年、1945年、そして1929年は最高のムートンの気絶するほどすばらしい一例である。だが、一級シャトーとしては恥じ入るしかない、そしてそれを買って飲む消費者にとっても明らかに腹立たしくなるような、凡庸なヴィンテージもあまりに多かった。1990年、1980年、1979年、1978年、1977年、1976年、1974年、1973年、1967年、1964年は、一級シャトーの水準をはるかに下回った。1990年と1989年というふたつの有名なヴィンテージでさえ、卓越したヴィンテージに一級シャトーに期待されるワインとしては、驚くほど生硬で、凝縮感に欠けていた。

とはいえ、なぜこのワインが商業的に成功したか、理由はいろいろある。まず、ムートンのラベルがコレクターズ・アイテムであること。1945年以来、フィリップ・ド・ロートシルト男爵は、毎年、ひとりの画家に一枚の絵の作成を依頼し、それがラベルを飾った。ムートン・ロートシルトのラベルに登場する大家には事欠かなかった。ヨーロッパからミロ、ピカソ、シャガールにコクトー、アメリカ人ではウォーホール、マザーウェル、そして1982年にはジョン・ヒューストンが起用された。次に、偉大なヴィンテージにおけるムートンの豪華さが、ラフィット・ロートシルトの生硬な優美さや、パワフルでタニックで、濃厚で筋肉質なラトゥールとは、かなり異なるスタイルを持っていることがあげられる。三番目には、申し分なく維持されたシャトー自体が、その卓越したワイン博物館とともに、メドックの(そして多分ボルドー全域でも)最高の観光地であることだ。
-ロバート・M・パーカーjr著 「ロバート・パーカーが選ぶ 最新版 世界の極上ワイン」176P、177Pより抜粋








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1/17/2015

シャトー・マルゴー CH.MARGAUX




格付け:一級

所有者:メンツェロプロス家
住所:Chateau Margaux,33460 Margaux,France
郵便:BP31,33460 Margaux,France
TEL:33 05 57 88 83 83
FAX:33 05 57 88 31 32
窓口:Tina Bizard(TEL:33 05 57 88 83 93)
見学:要予約 月~金AM10:00~12:00、PM14:00~16:00

面積:78ha(栽培面積)
ブドウ品種:カベルネ・ソーヴィニョン75%、メルロ20%、カベルネ・フランとプティ・ヴェルド5%
平均樹齢:35年
植樹面積:10.000本/ha

醸造及び育成
発酵とマセレーションは、温度制御した木製発酵槽で3週間。熟成はオークの新樽で18~24カ月。清澄はするが濾過はしない。

年間生産量
シャトー・マルゴー:200.000本
パヴィヨン・ルージュ・デュ・シャトー・マルゴー:200.000本

近年の偉大なヴィンテージ
2010年、2009年、2005年、2003年、2000年、1996年、1995年、1990年、1986年、1985年、1983年、1982年



南メドックのすばらしい貴族、シャトー・マルゴーに向かう道は華麗な光景である。初めて訪れる人は、シャトー・パルメのすぐ北にある、小さな庭園にさりげなく囲まれたこの高貴な館が目に入ると、驚きと喜びを感じるに違いない。

このシャトーの歴史は、「ラ・モンテ・ド・マルゴー」として知られていた12世紀にまでさかのぼることができる。そのワインの歴史は、それよりもいくぶんかあとに始まる。1522年から1582年の間に、ピエール・ド・レストナックは、計画的に土地の交換を始めて、ブドウ畑もあったが、当初は主に穀物をつくるために利用した。1705年には、ロンドン・ガゼット紙が、シャトー・マルグーセの初の広告を掲載した。クリスティーズのカタログに初めて登場したのは1771年のヴィンテージである。

英国の首相、ロバート・ウォルポール卿は、3カ月毎に4樽(約100ケース)を購入していた。シャトーの文書庫の記録によれば、「必ず支払いがあったわけではなかった」という。駐仏米国大使であったトーマス・ジェファーソンもまたシャトー・マルゴーの愛好家であり、彼らふたりは1784年を飲んで購入している。このワインについてのジェファーソンの言葉によれば、「これ以上良好なボルドー・ワインはあり得ない」。

20世紀に入ると、シャトー・マルゴーは、強制的なシャトーでの瓶詰めを1924年のヴィンテージから始めた。だが、その後は苦しい時代が続く。1930年代は悲惨な10年間であり、その後の戦争もあり、結果としてシャトーは売りに出され、1950年にジネステ家によって買収された。ワインの品質は記念碑的な1953年を除けはまちまちであった。ピエールとベルナール。ジネステの不十分な財政管理(国際的な石油危機や1973年と1974年のワイン市場の暴落がその原因である)のもとで1960年代と1970年代の悲惨な時期に生産されたワインは、豊かさや凝縮感、個性に欠けるものがあまりにも多すぎた。その後、1977年にマルゴーはアンドレとラウラ・メンツェロプロス夫妻に売却され、直ちに畑や醸造設備に惜しみなく大金が投入された。エミール・ペイノーがワイン醸造を監督するコンサルタントとして迎えられた。聡明な観察者たちは、こうした経済的、精神的な肩入れがワインの秀逸性に反映されるようになるのは、いくつかのヴィンテージが過ぎてからだろうと予測したが、マルゴーの底なしの偉大さを世界に見せつけるには、1978年のヴィンテージひとつで十分だった。

残念なことにアンドレ・メンツェロプスは、苦闘していた一級シャトーのワインがすばらしい上品さと豊かさ、複雑さを備えた、輝かしいまでに一貫性のあるワインに完全に変貌するのを見届ける前にこの世を去った。エレガントなラウラ夫人、そして最近では世事に通じたやり手の娘、コリンヌがここを取り仕切っている。このふたりは少なからぬ才能の持ち主たちに取り巻かれているが、なかでもポール・ポンタリエの存在は光っている。1978年のマルゴーはすぐに評判を勝ち取り、その後も輝かしいつくりのワインを次々と世に送り出した。そのすばらしい豊かさとバランスは、1980年代にボルドー全体でつくられたどのワインよりもマルゴーが良好だと言っても過言ではなかった。

よみがえったマルゴーの特徴は、豪華な豊かさ、熟したブラックカラント、スパイシーなヴァニラのオークっぽさ、スミレなどの深みのある多面的なブーケを持つスタイルである。今ではその色や豊かさ、ボディ、タンニンのどれをとっても、1977年以前にジネステの支配下でつくられていたワインに比べて見違えるほどに充実している。

- ロバート・M・パーカーjr著 「ロバート・パーカーが選ぶ 最新版 世界の極上ワイン」160P、161Pより抜粋




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1/04/2015

シャトー・アンジェリュス CH.ANGELUS


格付け:プルミエ・グラン・クリュ・クラッセ(第一特別級)、サンテミリオン・グラン・クリュ
所有者:ド・プーアール・ド・ラフォレ家

所在地
住所:CH.ANGELUS,3330 St,-Emilion,France
電話:33 05 57 24 71 39
FAX:33 05 57 24 68 56

面積:23.4ha
ブドウ品種:メルロ50%、カベルネ・フラン47%、カベルネ・ソーヴィニョン3%
平均樹齢:35年
植樹密度:7.000~8.000本/ha
平均収量:25~30hl/ha

醸造及び育成
少なくともブドウを摘む要員と同じくらいの人数が、選果テーブルにも当てられている。ポンプや発酵槽へ移すための管は使わず、発酵槽(スチール、木、及びセメント製)に果実を丸ごと運ぶためにベルトコンベヤーが導入されている。発酵槽は果皮との接触を最大限にするため、高さよりは幅があり、長時間のマセラーションの際にはパンチング・ダウン、ポンピング・オーバーが採用されている。ワインは早くから樽にうつされ、樽内でマロラティック発酵を行い(1983年以降)、6~8カ月間澱と接触させ(1988年以降)清澄と濾過は行わない(1988年以降)。樽熟成は年によって20~28カ月間。翌年の秋に瓶詰する。

年間生産量
シャトー・アンジェリュス:75.000本
カリヨン・ド・ランジュリュス:10.000本

近年の偉大なヴィンテージ
2003年、2002年、2001年、2000年、1998年、1996年、1995年、1990年、1989年


名高い<ピエ・ド・コート>に建つ有名なサン=テミリオンの鐘楼の近くに位置するシャトー・アンジェリュスは、プーアール・ド・ラフォレ家の7代にわたる熱心な貢献の賜物である。シャトーの名前は、所有する畑の一区画にいると、地元のマゼラ聖堂、マゼラの聖マルタン教会、そしてサン=テミリオン教会という3つの教会のお告げの鐘(アンジェリュス・ベル)がすべて同時に聞こえることから名付けられた。

アンジェリュスは、非常に人気の高いサン=テミリオンである。生産量が多いこと(その多くは輸出されている)、美しいラベル、そして魅力的でしなやかなワインのスタイルから、サン=テミリオン愛好家の間でもアンジェリュスの信奉者は多い。アンジェリュスはマゼラ・ヴァレーに位置しており、畑は石灰質の粘土質ロームと、下方斜面の粘土と砂が入り混じった土壌にある。畑全体が、完全な南向きを享受している。

- ロバート・M・パーカーjr著 「ロバート・パーカーが選ぶ 最新版 世界の極上ワイン」104Pより抜粋




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4/26/2014

シャトー・ラ・フルール (Chateau Lafleur)



格付け:ポムロールには公式の格付けはない。
所有者:ジャック・ギノードーとその家族
栽培面積:4.5ha
ブドウ品種:カベルネ・フラン50%、メルロ50%
平均樹齢:30年以上
植樹面積:5.900本ha
平均収量:38hl/ha
醸造及び育成発酵とマセレーションは、ヴィンテージによおて15~21日間続く。ワインは直接オーク樽に移されてマロラクティック発酵を行い。そのまま18~20か月間寝かされる(新樽比率は1/3~1/2)。ワインは新鮮な卵白を使って清澄されるが、濾過は意図的に行っていない。
年間生産量:シャトー・ラ・フルール12.000本、レ・パンセ・ド・ラ・フルール3.000本
近年のグレートヴィンテージ:2003,2001,2000,1999,1995,1990,1989,1985,1982

ポムロールにあるこの小さな畑に、私はいつも個人的な愛着を感じてきた。1970年代半ばにラフルールのワインをテイスティングし始めた頃、この銘柄について書かれたものは何も見つけることはできなかった。しかし、私の小さなテイスティング・グループの中では、このワインはどこをとってもペトリュスに優るとも劣らない人を引き付ける魅力があるという結論に達することが多かった。

確かなことは、ラ・フルールは依然として、常にペトリュスに迫り、時にはそれを凌ぐことさえできるポムロールで唯一のワインであるということだ。故ジャン=ピエール・ムエックスでさえ、かつてそれを認めたことがある。ラフルールがあらゆる点においてペトリュスに匹敵する、並はずれたワインであることを知る事が出来るまで、何度もふたつのワインを並べて味わうことができた私は幸運だった。香りの観点から言えば、ラフルールは多くのヴィンテージでペトリュスよりも複雑である。これは間違えなく、ラフルールが所有する樹齢の高いカベルネ・フランのおかげである。

ラ・フルールの偉大さの多くは、その土壌によるものだ。深い砂利質の土壌は鉄分に富み、いくらかの砂が混じるが、また、非常に重要な成分、リンとカリウムを含んでいることも特徴的である。ロバン姉妹の父がラフルールのモットーとしていた「質は量に優る」を反映して、収量は昔からごく少ない。

ラ・フルールはボルドーの最高水準に照らしても、いまだに最も独特で、エキゾチックで、偉大なワインのひとつである。これはポムロールのみならず、全世界を見渡してもそうである。
  - ロバート・M・パーカーjr著 「ロバート・パーカーが選ぶ 最新版 世界の極上ワイン」137P、138Pより抜粋







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